ふわりと軽く 飄々と こんにちは風○りです😊
どんなに忙しくても、例えコロナが流行しても、時間は変わらず流れ、変わらず朝が来て1日が始まる。
そして、コロナが流行しようと、4月になれば学生達の顔ぶれが少し変わってまた新学期が始まる。
朝高校生と一緒になるのでついこんな取り留めもないことを考えながら通勤している今日この頃です😅(有り難いことに仕事はほとんど変わらずあります)
新入生、新しい制服なのですぐにわかる。初々しくていいですよね。観ていると、ふと自分にもこんな時代があったんだなあと不思議な気分になることも…。歳ですね(笑)
時間帯によっては小学生や幼稚園のバスも通り、小さい子供は無条件に可愛いです☺️この感想は他人事に眺めているから言える言葉。
さてそんな私の子供時代ですが、結構めんどくさい・手のかかる子供だったと思います。なんせ母親の姿が見えなくなると泣く。今で言う分離不安?(笑)
そんな私が唯一母親がいなくても大丈夫な場所がありました。それが父方の祖母の家でした。今考えると母親の息抜きの意味もあったのか、時々祖母の家にお泊まりで預けられていました。祖母も自分に懐く孫が可愛くない訳がなく、可愛がってもらったのを覚えています。当然私は大人になる頃には立派なおばあちゃん子に☺️
今でもおばあちゃんの家の匂い・声、名前を呼ぶ時のイントネーション、おばあちゃんが作ってくれたご飯。梅干しやぬか床の作り方。一緒に行った銭湯。たくさんの思い出があります。
今思うと祖母はきっと強い人だったんだと思います。
明治生まれだったにも関わらず「結婚はしてもせんでもいい(してもしなくてもいいよ)女一人でも生きて行ける時代なんやから」と先進的なことを言ったり。祖父に対して「どうせ死ぬなら戦争で死んでくれればお金がもらえたんに。病気で死んだから苦労させられた」と優しいようで、毒を吐いたり(笑)祖父は戦時中に5人の子供を残し(赤ちゃん含む)たぶん白血病(祖母が風邪かと思ったら血が増える病気で死んだ。と)で亡くなり、一人で5人の子供を育て上げることになり相当苦労したようです。
私にとって祖母は生きていくために必要な教訓を教えてくれたり、落ち込んでいる時は励ましたり応援してくれる、言葉では表せないくらい大きな存在でした。もう会えないけど、また会いたいなあ〜。
誰だって、きっと忘れられない陽だまりみたいな優しい思い出をいくつかは持っているはず。その時代・人・場所がなくなってもそれは変わらず温かく。時間が過ぎてもその思い出は、今を生きる支えになったり😊
今の大変な時期も、きっと時が経てば思い出となり、さらに先の未来を生きて行く為の支えとなるはず。そう思えたら頑張れる気がしませんか?早く収束することを祈って。
最後に
「西の魔女が死んだ」この本はおばあちゃんとの思い出を甦らせてくれる本でした。
森での生活憧れます。この作品は映画も素敵でオススメです☺️
みんなに 良い風が 吹くといいな🌈
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